曖昧さの功罪
新型コロナの感染が激増している。僕の住んでいる大阪府でも昨日35人と東京都に次いで2番目に新規感染者数が多かった。
安倍晋三首相や大臣が毎日テレビに出ているが、気になるのはその言葉である。
お願いする、要請する、検討するというような婉曲表現を連発しているのである。
悪いが婉曲表現では、国民には伝わらない。
話し手の意思がはっきりしないのだ。
なるほど、まだ確定的ではないから、未定のことだから、はっきりと言えないのかもしれない。彼らには言葉の責任が重くのしかかっている。
大変さを暗にわかってほしいがために、遠回しな表現になってしまうのかもしれない。
そして、日本語って婉曲な言葉が多い言語である。医師が書く診療情報提供書にも遠回しな言葉が溢れている。
しかし、大切なことはきちんと話さないとダメなのだ。
国民にとって、聞きたくないことであっても、それが日本国に必要であるのならば、きちんと自分の言葉で話さないとダメだ。
それでないと国民に届かない、理解されない。
今のように曖昧なことを続けていたら、日本という国はコロナによって沈没してしまうであろう。